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架空庵の日々

まったり生活をこよなく愛する凡人のごく平凡な日記兼雑記帳。

スクイズ

っつってもまあ野球じゃないっすよー。

京都の例の父親殺しを受けてスクールデイズ最終話が次々と放送自粛になった件について。

まあ、マスゴミさんたちは反応が分かりやすくてもはや逆に愛らしくすら感じますね。スクイズ自体心臓の弱い方お子様などには決してオススメできないアニメではあるんですが…。
作品自体を論ずるワケではないです。やっぱり現実の事件とフィクションの関係についてですねぇ。

とりあえず一介のヲタとして言わせて貰いましょう。

もういい加減にオタク(そういう要素を含んでいるだけの場合も含む)と犯行の動機を繋げようとするのはやめてくだしあ。

以下、少し脱線なので反転。


今回の事件の場合、大体その次女さんの感性とかは俺にとって理解しやすい部分であって結構な数の女の子が似たような感覚を持ってるんじゃなかろかと。ただやっぱりそんな夢想がちな人間は現実との乖離って感じると思うんですよ。特に外では他人に気を遣うタイプならなおさら。
そこに折り合いをつけて何とか大人になっていくワケですな。

そしてそこに他人から見たら些細だとしても本人には重い問題が存在した場合、逃避の先は自然と自分の中の世界になるワケで、別に‘心の闇’などではないというか俺キライですこの言葉。
「処刑の意味を込めた」等々彼女は語っているようです。そして反省の様子がない、とも報道されます。しかし本当にそういう意味なのだとしたら反省なんか出てきやしませんよ。だって彼女の中では正義は彼女にあるんだから。
アレ、何か話がズレとるような。

そうか、マスゴミさんたち関係の話だった。
正直言っちゃえば放送規制、自粛して殺人事件少なくなるような社会はそれもう何かダメな気が。いえ別に殺人肯定する訳ではないです勿論。
それでも‘ポーズ’として見せる必要がありますよねやっぱし。

現在‘物語’を語る上で人が人を殺す、という事象は多くの場合避けられぬモノで。というかなり極端な私見ですが私はフィクションでこそ人を殺すべき、と考えています。人間が精神的に成長するためには人の死を経験する必要があり、現実に人は死ぬ訳です。ならばフィクションの中で、現実に匹敵する死の疑似経験を与えることが出来たのなら、成長の糧に少しでもなれたことになるんじゃないか、と。
昨今のフィクションでどういう風にその辺りが描かれているかは寡聞にして熟知してはいないのですがあんまり死に関する描写がペラいと逆にリアリティを失うんじゃないかしら、と。

事件に関して良いの悪いの言えばそりゃ悪いですよ。
ただそれは結局周囲が完全に原因ではなくて、多かれ少なかれ‘そこまでいってしまった’自分の弱さだと思うんですよね。
そういうシーンを見て、ちょうど自分の憎い相手をそういう風に殺そうと考える人は少数派で、何か糸が切れた瞬間に衝動的に、ってのも多いと思うし。

うおお軽く流行の話題に乗っかるだけのつもりが色々考えすぎー。

ただやっぱりこういうことを切欠にマスコミ鵜呑み主義から一歩踏み出せればなぁとかなんとか。

色々と親知らずですよね。





子供が時折、割と本気で抱く親への殺意とか。



子供だって人間ですもの。
そりゃあ殺意だって抱くさ。
そこを耐えていく力を養うのが教育の一面だと思いますよ?


とまあgdgdに絶望先生ネタで締めてみる。

やっぱひぐらしも煽り喰らうかなぁ…。
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  1. 2007/09/20(木) 15:05:41|
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Author:架空庵 
田舎に生を受ける惰眠を好む凡人。重度のオタクでありながらそれを必死に押し隠して生息中。抜けるような酸味と、後を引く苦味が持ち味。
「卍解はまだできないけどきっと覚えます」

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